たなさと

バンドを語りたい、ただそれだけ。CDレビューやライブレポなどもするので一応ネタバレ注意

タイアップの話題性に一時的に盛り上がるだけじゃなくてさ

先日、アニメ「チェンソーマン」の主題歌情報が解禁され、Twitter上で大騒ぎになった。

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えぇやりすぎです。オープニングに米津玄師、しかもKing Gnu常田が参加。エンディングは毎回異なるアーティスト達が週替わり。しかもそのメンツもホール・アリーナクラスが並ぶ。もちろん楽曲が替わるわけだからエンディングの映像も替わるのだろう。気合いの入れようが半端ない。

音楽界隈は大盛り上がりだった。TLが埋め尽くされていた。自分もとんでもないなこれはと思った。このメンツでフェスやったら凄そうとか思った。チェンソーマンは読む機会がなかったが人気なのは知っていたし、アニメ化するのも知っていたし、まんまと楽曲に釣られて観てみようという気になっていた。

 

しかしそれだけ盛り上がっているトピックには、否定的な意見もつきもので。しばらくして、大燥ぎしていたTLに少しずつ疑問の声や批判も目につくようになっていた。多くは「◯◯がよかった」「チェンソーマンはそういうのじゃない」みたいな自身の願望も含むものだったが、その中である記事を見つけた。

筆者様ご本人に許可いただいてリンク貼ります。

『それまでアニメに興味のなかったマスにリーチさせるためには有効かもしれないが、(中略)名作を刹那的なバズに変えてしまう可能性もあるのでは?』『ともすれば”バズのための共通言語”として扱われてると捉えられかねない』

『一過性の話題に終始し得るプロモーションをしちゃうのはどうなのよ』『そこまでしなくても作品の魅力が落ちるわけじゃないのに、そもそも作品の求心力や消費者のことを信じていないんじゃないの?』

『作品と消費者を、もう少し信じてみてほしい』

引用したい文章が多すぎて。えぇ、目から鱗でした。批判派・反対派とまではいかなくても、少しモヤモヤしていた人たちの違和感を全部言語化しているんじゃないかと。

確かに、原作ファンからしたらどうなんだろうなこれ(筆者様はチェンソーマン読んだことあるわけではないらしいが)。自分の好きな作品がメディア化されたと思ったらタイアップの豪華さだけが一人歩きして盛り上がってるって、複雑かも。

まぁ実際タイアップってのは大事なんですよ。自分がそうなんでね。オープニングが髭男でエンディングが星野源じゃなかったらSPY×FAMILY観てなかったと思うし、King Gnuが主題歌じゃなかったら呪術廻戦に手を出してないと思うし、逆に手を出さず終わっていたとしてもEveの "廻廻奇譚" は耳にしていたと思う。最近結構色んなドラマ観てるんだけど、今でこそ内容やキャストで選んでるけど前は主題歌で観るかどうか決めてたし。タイアップというのはそういう効果が確かにある。タイアップ元のファンの背中を押してタイアップ先に到達させる力があるのは事実なんよ。漫画・アニメみたいな、手を出すに至っていなかったコンテンツに対してだと特に。

で、思ったのが、『一過性の話題に終始し得るプロモーション』の危うさ、消費者側としても今後のトレンドを追うにあたって本当に気をつけないといけないなと。先述の記事には『作品と消費者を、もう少し信じてみてほしい』とあるが、これは消費者側も信じてもらうに足る向き合い方をしないといけなくて。

タイアップって言ってしまえば抱き合わせ商法ですよね。推したいコンテンツ同士を組み合わせる事で相乗効果を生み出す狙いがある。しかしそれが今回のケースだと、元々強いはずの作品が、さらに強すぎるアーティスト達と組まされる事で「作られたバズ」になってしまう事が危惧されている。だからこそアーティスト側も『”バズのための共通言語”として扱われてると捉えられかねない』わけで。

タイアップに限らず、バズコンテンツの一番の懸念は「一発屋の量産」だとずっと思っている。今回は原作漫画の方が正しく評価されない恐れがある特殊なケースだが、殊、音楽側は特にそうで。バズった末にCDの売り上げやライブの動員が恒常的に底上げされるんならいいけどなかなかそうはいかない。大体その曲が単発で話題になって暫くの間チャートにランクインして終わる。元からのファンは複雑だろうなと思うし、知らない自分でも正直あんまりいい風潮とは思えない。

ここ数年のTikTokから生まれるバズなんかまさにそうだよ。瑛人どこ行ったんだよ。「TikTokでバズってたので気になってサブスクで他の曲も聴いてライブ行きました」は許せるけどYouTubeのコメント欄の「TikTokから来た人✋」は殺したくなるのは多分そういう事。

元から大概大人気で順当に社会現象になった鬼滅の刃とLiSAのタッグでさえ「LiSAは鬼滅の一発屋」などと宣う輩が出てくる始末。自然にバズったってそうなるんだから作られたバズなんか絶対一時的なものになって終わる。バズらされたコンテンツの元からのファンが複雑な気持ちになって終わる。ただ、そう思ってしまうのは結局消費者側もまんまと盛り上がってそのまますぐに去っていってしまいがちなのが現状だからなんだろうなと。

今回のケースで言うと、音楽ファンがチェンソーマンにもしっかりハマって、あとチェンソーマンファンも各アーティストの中にお気に入りを見つけられたりするのが理想ですよね。いない事を祈るけど「豪華だね〜!」て騒ぐだけ騒いでアニメ観ない奴とか最悪なんですよ。めちゃくちゃ深夜にしか放送されない地域とかなら仕方ないけど。そんだけ話題性に踊ったならちゃんと本編も観ろよ?とは思う。でも下手したらアニメ観ないどころかその主題歌たちもサブスクで数回しか聴かない奴ごまんといるんだろうな。

もちろん、漫画にしろ音楽にしろ付随する各種商業にしろ、それらに対して全部が全部貢いでたら破綻するし限度があるし、お金の遣い方は人それぞれでいいんだけどさ。いずれ生み出されるであろうチェンソーマングッズ買えとかチェンソーマン展に繰り返し行けとかは言わんけどさ。そりゃ人間だからその時々でマイブームとかあって然るべきだけど、意図的なバズにまんまと乗っかってそれで終わるのって、どうかな?って。

『一過性の話題に終始』させてしまう事のないように気をつけないといけないなと。盛り上がったなら、盛り上がり続けろ。

 

今回のアナウンスに対する諸意見を見た時は、原作読んだことないのにタイアップの豪華さだけでとりあえず燥いでいた自分を恥じた。それきっかけでアニメも観よう、原作も読もうとしていたとしても。音楽であれ漫画であれアニメであれ、同じカルチャー。タイアップ先にもタイアップ元にも、また双方のファンにも、敬意を欠かないように留意したいね、と思いました。

そんなお話。

かっけ。

 

では(=゚ω゚)ノ